1-2 芭蕉の句と万葉集
Phrase of the Basho and Manyoshu
<芭蕉の句> Phrase of the Basho
江戸時代の俳諧師、松尾芭蕉は、「奥の細道」の旅で東北から北陸を旅し、倶利伽羅峠を越えて金沢に入りました 芭蕉に同行していた弟子の曽良の「随行日記」によれば、 芭蕉が倶利伽羅峠を訪れたのは元禄2年(1689)7月15日、新暦の8月29日。「快晴。高岡ヲ立、埴生八幡ヲ拝ス。源氏山、卯ノ花山也。クリカラヲ見テ、未ノ中刻金沢ニ着。…」とあります。
埴生八幡とは、義仲が戦勝を祈願した埴生護国八幡宮のことです。
「平家物語」に想い入れがある芭蕉は「奥の細道」の旅で、源平合戦ゆかりの史跡を巡り、いくつかの名句を残しています。特に義仲には強い共感を抱いていたようで、「(墓は)木曽殿の隣に」との遺言によって大阪で病死した芭蕉は弟子によって死の翌日、大津にある義仲寺に運ばれ義仲の墓の隣に埋葬されました。
北陸路では金沢に急いだ芭蕉も、義仲が大勝を納めた合戦の舞台である倶利伽羅峠では義仲に想いを馳せていたことでしょう。
倶利伽羅峠:「義仲の 寝覚めの山か 月悲し」
<万葉集> Manyoshu
富山県と石川県の県境にある倶利伽羅峠、富山県側から峠へむかう坂道の途中に万葉公園がある。
大伴家持と大伴池主が詠んだ歌37首が5基の碑に刻まれている。家持と池主の温かな親交が歌から読み取れる。
長歌がほとんどで、一部を抜粋して刻まれている。(万葉の旅より)
砺波山:君と我れと 隔てて恋ふる 礪波山 飛び越え行きて 明け立たば